恋文横丁、いまいずこ。 [昭和-平成、往ったり来たり]
昭和-平成 往ったり来たり
恋文横丁、いまいずこ。(増補版)
●渋谷駅周辺 古い高架線やガードは昭和への郷愁を呼び起こす。
●おなじみ渋谷駅ハチ公口 上下とも
渋谷に、恋文横丁と呼ばれた一角があった。
ケータイの時代に恋文とは、いかにも時代がかっているが、
その通り、これは60年も昔の話である。
戦後の焼け跡に中国から引揚げてきた人たちが住みはじめ、
中華料理や雑多な物資を扱うバラック(あばら家)に混じって、
そこだけ密やかな感じでラブレターの代書屋が軒を並べていたのだそうな。
1950年。
朝鮮戦争で日本に配属された駐留軍のアメリカ兵は、
異国の香りといっしょに、自由を運んできた。
自由に憧れた女性は、開放的なアメリカ兵に憧れた。
●朝鮮戦争による特需で、日本の経済は大いに潤ったのだった
●立川にて ●銀座にて
けれども、英語ができない。
思いを伝えるために自然発生したのが、ラブレターの代書屋。
食うや食わずの学生や文士の卵などが彼女らのメッセージを英語で代書し、
彼女らが受け取った手紙を、日本語に訳して伝えた。
●渋谷「恋文横丁」 飲み屋や食堂の奥に恋文の代書屋が集まっていた
1953年7月、朝鮮戦争停戦。
彼らが母国に帰るときがやってきた。
彼女らには辛い別れが待っていた。
いっしょに渡米して幸せを掴んだ女性は、おそらくほんのひと握り。
多くは日本で、混血児を抱えた未婚の母となった。
恋文横丁は丹羽文雄の「恋文」によって、有名になった。
1960年代後半から70年代後半にかけて、
渋谷は、東急本店、西武、パルコ1・2・3と大型店舗林立の時代を迎えるが、
当時、同業という仕事の立場上、必ず偵察に出かけた。
ついでに、いつも恋文横丁を歩いた。
文化村通りから道玄坂へ100m足らずで抜けられる小路はそのまま残っていたが、
それらしき代書屋などあるはずは無く、
とは言え、どこかに恋文横丁の匂いを留めていた。
●戦後 道玄坂の入口
●右手・文化村通り 左手・道玄坂への分岐点にある「109」 上の写真とほぼ同じ場所
●文化村通り側「109」が切れたところにある「恋文横丁」跡
●現在はこの標識だけで入り口は閉ざされ、先は行き止まり 2011.6.10撮影
●赤丸が恋文横丁があった場所 クリックで拡大 地図はアルプス社
渋谷駅のハチ公口を出て、文化村通りがはじまるところ。
誰でも知っている「シブヤ109」の裏手に今でも恋文横丁の痕跡がある。
ただし、チェーンで閉鎖されているし、
通路に見える部分も数メートル先で行き止まり。
通り抜けることはできない。
時間がそこで止まっている。
いわば第二期戦争未亡人ともいえる彼女たちは、今、80代を迎えている。
その人生とは……。
●当時流行っていたダイナ・ショアの「青いカナリア」
聞き終わったあとの画面で、雪村いずみの「青いカナリア」も選べます。
●神泉駅の踏切と信号機 渋谷のあちこちに「昭和」が息づいているのは、うれしい。
◎参考文献/資料写真
・1億人の昭和史⑤ 毎日新聞社
・昭和史全記録 毎日新聞社
・戦後50年 毎日新聞社
・江戸東京学辞典 三省堂
戦後の懐かしい匂いが流れてきます。
by Silvermac (2011-06-15 06:14)
1970年をはさみ3年間渋谷は高校へ通う通学路の乗換駅でした。
もちろんその当時の渋谷の夜の顔は知りませんでしたが 土曜日の午後は必ずと言って良いほど渋谷に立ち寄り 道玄坂坂上のYAMAHAなどを見て歩いていたことを思い出しました。
記事を読んで昔のことが少しよみがえってきました。
by kurakichi (2011-06-15 10:30)
「恋文横丁 此処にありき」・・・いやいや懐かしげなだけでなく、
時代背景があるんですね。それほど遠くない昔、日本って国を思い起こしてみるのも
大切なことかもしれませんね・・・
by 路渡カッパ (2011-06-15 14:31)
こんにちは。若い日の三年間、三宿に住んでいました。
週末に出掛けるところは玉電でたいてい渋谷。ハチ公は今も健在のようですね。今は一人で東京へは行けない。浦島花子(?_?)です・・・
by yakko (2011-06-15 16:46)
これは知りませんでした。
今度注意して見てみます
by 駅員3 (2011-06-15 17:39)
ちょっとご無沙汰してすみません(^^;
う〜ん、会社が渋谷なので毎日通っているんですが、
恋文横町は知りませんでした!
宮下公園下ののんべい横丁は知ってますが(^^;
by kazz (2011-06-15 23:48)
昨年、渋谷パルコ劇場での某公演を観に行った時、
すぐこの近くまで1人でウロウロしてたのですが...
知らなかったので残念です。
恋文横丁...とても切ない感じがしますね。
今でこそハーフやクオーターがもてはやされる時代ですが、
この時代となると、母子共に厳しい境遇だったでしょうね.....
英語だけじゃなく、日本語でさえ読み書きができない人も多く、
戦地の家族への手紙の代筆業などもあったのですね?
by みかっち (2011-06-16 08:52)
恋文・・・死語じゃないでしょうか?
時代は厳しくてもいい習わしがあったんですね。
青いカナリヤ・・雪村いづみのコンサートで鳥肌が立ちました。
by OMOOMO (2011-06-16 11:07)
まるまるさん
えーちゃんaaaさん
masao。さん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 14:48)
Silvermcさん、こんにちは。
戦後の人間は、どうもこのような雰囲気や匂いを振り払えないようですね。笑
by sig (2011-06-16 14:49)
kurakichiさん、こんにちは。
その当時の道玄坂はいちばん整っていましたからね。私は書店でしたがkurakichiさんは楽器屋さんでしたか。これを撮影した日はもう夕方で、道玄坂を歩きたかったのですが、帰ってきてしまいました。
by sig (2011-06-16 14:53)
ChinchikoPapaさん
nikiさん
市丸さん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 14:54)
路渡カッパさん、こんにちは。
ここは10年ほど前はまだ通り抜けできたんですよ。左右には何もありませんでしたけど。それがここまで狭められていました。こうこうものは元々がマイナーなものですから、いずれ忘れ去られてしまうのでしょうね。
by sig (2011-06-16 14:56)
くまらさん
マチャさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 14:57)
yakkoさん、こんにちは。
世田谷の3年間は学生さんだったのでしょうか。玉電の言葉を聞いて、こちらが懐かしくなりました。私は玉電で多摩川を渡った川崎寄りでしたから、渋谷へは小田急経由でしたね。ハチ公は2代目だそうです。私こそ出歩かなくなったので正真正銘の浦島太郎です。
by sig (2011-06-16 15:03)
thisisajinさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 15:04)
駅員3さん、こんにちは。
恋文横丁の言葉自体、もう私たち世代までのものですから。そういう私ももちろん当時のことなど知りません。ここがビルのゴミ置場になってしまうのは時間の問題かも・・・。
by sig (2011-06-16 15:07)
corradoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 15:08)
kazzさん、こんにちは。
今では恋文横丁の名を知っている人自体、少なくなりました。現在の恋文横丁はご覧の通り、全くの死角になっています。この地に強い愛着とゆかりのある人が、ようやくこれだけのスペースをキープして残した、という感じ。のんべい横丁のような飲み屋街は残るんですけどね。
by sig (2011-06-16 15:14)
みかっちさん、こんにちは。
恋文横丁の名前自体、すでに忘れられていますから、みかっちさんが知らないのは当たり前なんです。
ハーフやクオーターの子供たちに対するいじめはかなりあったようですね。おとなになってから黒人系で映画に出演した人もおりましたが、なかなか大変な時代だったと思います。
とにかく朝鮮戦争は、実際に戦っている米軍のお手伝いをしただけで、日本は恩恵を受けた戦争でした。それも憲法第9条のおかげだったのでした。
by sig (2011-06-16 15:34)
gookhisaoさん
コトキャンさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 15:37)
今度渋谷に行ったら立ち寄ってみます。
by ばん (2011-06-16 21:41)
そんな謂われのある横丁があったのですね。
時代が要求したのですね。
今度、渋谷に行くとき
気をつけて見てみます!
by 八犬伝 (2011-06-16 22:26)
末尾ルコ(アルベール) さん、はじめまして、こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 23:39)
miyokoさん
ほりけんさん
(。・_・。)2kさん
maria.shionさん
OMOOMOさん
めぇさん
あら!みてたのねさん
yannさん
こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-16 23:42)
ばんさん、こんばんは。
現場のご覧の通り、標柱がなければゴミ置き場同然ですよ。淋しい感じがしました。
by sig (2011-06-16 23:44)
pokochanさん
八犬伝さん
モカさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-17 08:35)
こんにちは、田舎者の私は今の様子は判りませんが
戦後の写真には其の様な時代があったのを思い出させて
くれます。
ご訪問&コメント有難う、此れからも宜しく願います。
by 吉之輔 (2011-06-17 13:42)
うつマモルさん
sanaさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-17 16:02)
吉之輔さん、こんにちは。
1960年代も もう昔のことになってしまいましたね。コメント、ありがとうございました。
by sig (2011-06-17 16:04)
神泉辺りの趣 いいでやすよね♪
あと、今 マイブームなのが 井の頭線神泉寄りの渋谷駅入り口付近(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2011-06-17 20:48)
majoramuさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-17 21:19)
綾小路曽根斗麿さん、はじめまして。こんばんは。
ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-17 21:23)
ぼんぼちぼちぼちさん、こんばんは。
神泉、好きですよ。写真ももっとたくさん撮ったのですが。井の頭線沿線はいいですよね。それほど知っているわけではありませんが、なんとなく。
by sig (2011-06-17 21:28)
まさにその数十年前の渋谷の様なところが南京市にはあるみたいでその一角では外国人男性と地元の女性がレストランにてよく見かけます~
ホントにタイムスリップした感じです(^_-)
by tomickey (2011-06-17 23:42)
青いカナリアの歌、懐かしいです。雪村いずみが歌っていたものだったような気がしますが。
代書屋という職業が成り立ったことも、興味深いことです。今度渋谷へ行ったら、恋文横丁の跡、見てみようと思います。
by アヨアン・イゴカー (2011-06-18 15:15)
ちょっと若い頃は、ウロチョロしていたので、たぶん、何気なく通っていたと思うのですが^m^‥‥
東京には至る所に、こうした、あったという「説明文や杭だけ」が、よくありますが、
こうしてジックリ説明を聞かないと、気が付いても、感心・興味がないまま通り過ぎて居るように思います。
最近、お久の渋谷ですが、行った折には、凄~く♪興味を持って、通路を見てみますね(^^)v
by urara☆ (2011-06-18 16:13)
花火師さん
kiyoさん
rebeccaさん
こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-18 17:23)
tomickeyさん、こんにちは。
日本の発展の仕方のすぐあとを継いだのは韓国で、今は中国の番に至ったということでしょうね。国家も同じような形で成長していくんでしょうね。
by sig (2011-06-18 17:27)
himakkoさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-18 17:28)
アヨアン・イゴカーさん、こんにちは。
「青いカナリア」、この動画のあとで雪村いずみの歌声も選べますよ。
恋文横丁の跡は管理もされていないようで、物置場のようです。それだけ、もう忘れ去られてしまったということなのでしょうね。
by sig (2011-06-18 17:40)
urara☆さん、こんにちは。
109はヤングレディのたまり場ですからね、笑。だからかえって世代的に「戦後」というような話は通じないでしょうね。
この日私もたまたま渋谷に出たついでに撮って帰って記事にしたのでした。わざわざ出向いた訳ではないのですよ。現場がこんな風であるほど、何かむなしい気がします。いつもコメントありがとうございます。
by sig (2011-06-18 17:45)
文化村はたまにコンサートなどで足を運びますが、「恋文横丁」なるものはまったく知りませんでした。今度またコンサートで行く機会があるので、ちょっと覗いてみいようかしら…。
by うさ (2011-06-19 02:30)
しっかり史跡になってるのですね。
時代を感じる文化ですが
僕のオバサンはそのほんの一握りに入って
今ではシアトルで暮らしています。
by 響 (2011-06-20 04:53)
うささん、こんにちは。
うささん世代が恋文横丁を知らないのは当然。私でさえ、その頃は小学生ですから。現場は写真の通り、何の管理もなされていないようですよ。
by sig (2011-06-20 10:24)
Ja-Kou66さん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-20 10:25)
響さん、こんにちは。
さすがに響さんの叔母様は時代の先駆だったんですね。かなり前にTVで、シアトル在住の女性たちに取材した番組があったようですが、もしかして叔母様も出演されたかもですね。
by sig (2011-06-20 10:28)
異国の香りに憧れて、ラブレターを書いてもらって・・・
なんてロマンチックなお話♪と、うっとりしつつ読みすすみました。
しかし、書かれているように、その後の別れの事を思うと
切なくなります・・・。
「恋文横丁」、次に渋谷へ行った時に足を運んでみたいと思います。
by Pace (2011-06-20 23:12)
Paseさん、こんばんは。
その頃の女性は海外への憧れもあったと思いますが、まだ封建的な考えが残っている社会の中で、女性の自立としては一歩進んでいたのだと思います。ただ、周りの誤解はかなりのものだったと思います。今、この場所がゴミ置き場のようにしか残されていないことが、ちょっと淋しいですね。
by sig (2011-06-20 23:39)
ともちんさん、こんばんは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-22 19:08)
あんれにさん、こんにちは。ご来館ありがとうございます。
by sig (2011-06-25 15:35)
甘くもあり。。切なくもある。。恋文屋さん。
自由に憧れた女性たちの気持ちを忠実に。。そして花を添えて綴ったのでしょうね?
きっといつかは別れが来ることに怯えながら。。儚く切ない恋を楽しんだのでしょう。。
この時代の女性たちの写真をたまに見ますが。。なぜか?物寂しげに見えてしまうのは。。
きっと、そんな思いがあったからなのでしょうね?
by 砂漠のラクダ (2014-07-30 14:33)
砂漠のラクダさん、こんばんは。返事が遅れてすみません。
いつか別れなければならないことを前提としての交際は、始めから悲しいものでしょうね。彼が本国アメリカに帰ってからの連絡先を知らされた女性はどれほどいたのでしょうか。戦後女性史の1ページですね。
by sig (2014-08-01 00:34)