戦後昭和の、思い出横丁 [昭和-平成、往ったり来たり]
あんな、こんな
戦後昭和の、思い出横丁
戦後66年。
この数字は、戦後世代が絶滅寸前の数字だ。
うしろを振り返る暇もなくやってきたが、
ふっと、昔に引き込まれる情景がある。
広い靖国通りをまたぐ新宿大ガードと
隣接する「思い出横丁」の近辺が、それ。
100m足らずの路地は、まさにタイムトンネル。
自分にいちばん近い、「昭和」が残る場所だ。
「思い出横丁」とは最近の呼び名で、
昔はこの一角を現すネーミングなどなく、
漂う空気から、自然発生的な名前で呼ばれていたようだ。
この一角に足を向けさせるものは、単なる郷愁ではない。
ここは闇市のあと。それは戦後世代の原風景。
民主主義の日本人は、良くも悪くもここから発祥したのだった。
いずれにしても、食と酒、
この命の源が、ここでは安く手に入った。
それは今でも変わらない。
肩が触れそうなカウンターに座れば、
懐かしいハムカツ、カストリ焼酎、
そして赤玉ポートワインのポスター。
今では気軽さも手伝って、若いサラリーマンの姿も多い。
戦後昭和の、思い出横丁
戦後66年。
この数字は、戦後世代が絶滅寸前の数字だ。
うしろを振り返る暇もなくやってきたが、
ふっと、昔に引き込まれる情景がある。
広い靖国通りをまたぐ新宿大ガードと
隣接する「思い出横丁」の近辺が、それ。
100m足らずの路地は、まさにタイムトンネル。
自分にいちばん近い、「昭和」が残る場所だ。
「思い出横丁」とは最近の呼び名で、
昔はこの一角を現すネーミングなどなく、
漂う空気から、自然発生的な名前で呼ばれていたようだ。
この一角に足を向けさせるものは、単なる郷愁ではない。
ここは闇市のあと。それは戦後世代の原風景。
民主主義の日本人は、良くも悪くもここから発祥したのだった。
いずれにしても、食と酒、
この命の源が、ここでは安く手に入った。
それは今でも変わらない。
肩が触れそうなカウンターに座れば、
懐かしいハムカツ、カストリ焼酎、
そして赤玉ポートワインのポスター。
今では気軽さも手伝って、若いサラリーマンの姿も多い。
新宿南口に残った「昭和」は消えて久しいが、
西口にある「昭和」という歴史の1ページは健在だ。
「思い出横丁」には、まだまだがんばって欲しい。
●新宿駅東の「銀メシ横町」1945~6年頃
●東京都電 1945~6年頃 上の2葉は毎日新聞社刊「1億人の昭和史」より
■「思い出横丁」イメージクリップ by sig